2011年09月21日

幸福度の計測

 3日付の日経にまた幸福度について書かれていた。
経済政策の目標指標として使い勝手がいいのだろうか。

論旨の中心は「幸福」の経済学の発展の経緯だ。
物質的な豊かさとある程度相関があると考えていた時代。
いや所得は関係ないのでは?
その逆説を解くための
相対所得仮説と言われるもの(他と比較して感じるもの)
そして順応仮説(環境変化に慣れてしまう)
などなど。

で、阪大の大竹教授は最後に、客観的指標と主観的指標の双方を
うまく活用していくことが重要と書いてみえる。

人の幸福度は、生存欲求の満たされた今の日本では大変主観的なものになっているように
感じる。

そしてそれはキャリアの世界にも共通することである。
人は幸せになるためにがんばるのだろう、を前提として話すこともある
講師としては、もう十分幸せですから、と言われてしまうと、何のために
働くの?何のために学ぶの?を話すことが難しくなる。

仕事って大変だけど、やりがいあるし、成長するし、人生が充実するよ、と言っても、働かなくても食べていける人に納得させるのは難しい。

また逆に会社も個人もお金はいくらあっても満足することは無い。
もっともっとである。欲望にはきりがない。

国内総生産が今後、増えようが、減ろうが、国民の生活満足度が急激に下がり、このままでは
いやだ、と思う人の数が多くならない限り、国民の総意として新しい何かが始まり、
変革のクニになることはないだろう。

政府が幸福度とGDPの関連を何にどう使おうとしているのかわからないが
、何にしても今、私たちはどこにいて、どこに向かっているのか(ゴーギャンみたい)
の指針だけでも言って欲しい。
そうしたら、賢い国民は自立して備えていく人は備えるし、そうでない人はクニに対してもっと
コミットメントするのに。と私は思う。

幸福度なんてそれを利用する人の使い方だと思う。
それくらい主観的なものだ。