2011年12月20日

キャリア教育学会で

11月に東京であったキャリア教育学会第33回研究大会に参加してから、先日名古屋であっった学会の研究会にも参加して、改めてキャリア教育について考えている。
学会には進路指導学会の時からの先生方が多く、私のような新参者は欧米からきた新しいキャリアの概念を基にしている(というかそれしか知らない)
家庭の経済状態や偏差値に合わせて進路先を決定して、後は本人の成長と企業が定年まで育ててくれるというだけでない、大きい長い考え方だ。
キャリアの概念とは、根本は生きかたの概念で人がどう生きていくのか、働くのかを考える学問である。
つまりは勉強すればするほど哲学や宗教に近付いていく。
ということは欧米の枠組みの中で勉強を続けると必然的にキリスト教的考えに気づいていく。

最近思うのは、文科省だ、厚労省だ、経産省だとそれぞれがキャリア教育に自省の流れをつくろうとせず、もっと根っこの言葉を共通に持って欲しいなあということ。
日本には宗教と哲学と倫理が別個で存在するが、欧米では同じ感覚で使われている。
今、日本に足りないのは、人はなぜ存在するのか、どうあるべきかというその3つの合わさった概念ではないだろうか。
「世の為人の為」の人材教育が必要だと学会でも話題になる。
社会とのつながり、社会の中の役割についての小学校からの単刀直入のわかりやすい共通した教育がないので、この物質的に満ち足りた経験の場の少ない国内で、若者はなぜ働くのか、どう生きるのかの答えを見出しかねている。
人の幸せはそれぞれで、幸せな働き方もそれぞれだけど、その前に人としてどう生きるのかがなければ目標も定められない。

キャリア教育は、真剣にすれば様々な議論を生み出すパンドラの箱のようなものだと思う。
でも逃げてはいけないし、先送りもできない。
企業も地域も国も今の学校を中心とした人材教育に危機感を持っているのだから。

来年は私も偉そうに言うだけでなく実行の年にしていくつもりだ。
地域で先生方と一緒にできることはあるはず。NPOとしてもできることはあるはず。国内あちこちで立ちあがっている取り組みを三重で実現していきたい。